ジンセイゲイジュツ

じんせいに彩りを。無駄の無い人生なんてつまらない。

「人生フルーツ」人生に大切なものってなんだろう?

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ある週末の昼下がり、ぼーとテレビを見ていたら、個人のお庭にしては随分広めな雑木林に、色々な実のなる木々や畑を手入れしながら暮らしている、老夫婦のドキュメンタリー映画がやっていた。

まるでジブリ映画にで出てきそうな 風景で、朝ご飯といって用意された食器の雰囲気や特別飾り立てていないけど、どこか品とさりげないおしゃれなインテリアに、暇つぶしのつもりが最後まで気になって、目が釘付けになっていた。

 

とってもチャーミングなお二人で、二人の空気感が映像から伝わってくる。

 

 

 

とっても中二病的なタイトルですが、

最近自分の中でじーんと心に残っている映画を紹介させてください!

(実際はまだ見てないけど!)

 

平凡な暮らしが幸せだったりする

 

TVで流れたのは、映画の一部?かスピンオフ?だったけれども、当たり前の日常が淡々とくりかえされて、こんなにも普通な事をしているだけで、幸せを感じるのは素敵だなと。

特に真新しい激しさや刺激はないけれど。

そういのうも都会的で楽しい。でも刺激はもっともっとと、エンドレスにほしくなるし、年齢のせいか?元々の性格が欲してているのか、最近は穏やかに生活できればそれが一番幸せだなーなんて(たまには刺激的なことも楽しいけどね)

 

作品解説 | 人生フルーツより

かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめましたーー。あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一さんに新たな仕事の依頼がやってきます。

 

 

 

作中の中で、お二人は「ここに小さな森を作って実験してるんだよ」といっていました。大きな山を切り崩し、たくさんのコンクリートの建物が代わりに立ち並ぶ風景に二人、立ち向かっていらしたのかなー。

近代化と真逆なことをやっておられるわけですよ。

自分が設計した団地の一部で。真逆な事。

いろんな事が人間の手で便利になったけど、お二人は、これこそが真意だよ。忘れないで。って身をもって伝えてたのかもしれない。

 

撮影した方々も素敵だった

 

私が見た放映は、ひとつ大きな出来事が起こりましたが、それ以外は毎日の特に変化のない、ほんとーにごくごく普通の生活を流しているだけでした。

別のサイトかテレビかで、これをつくったスタッフの方が、何も変化が起こらない日常を撮り続けることに意味はあるのか?と疑問を抱くこともあったそう。けれど、この作品の真意を最大限に伝えるためにはこの方法しかない。と最後まで演出等をしなかったそうです。

全然撮影のこととか知らないし、まったくの素人がこんな事書くのは、バカみたいだけど、何か作品を作ろうと思った時に、やっぱり自分のテクニックというか、手垢というか、そういうものを残したいと思ってしまうのが人間じゃない?

でもそこをぐっと我慢して、ただただ良い映像がとれるように撮影を続けるっていうの、ゴールの見えないマラソンみたい。不安しかない。ただ信じながら続けていかなきゃいけない。結構飽き性で取り柄もない私はそういうのすごいなって。

そして、そういうの届いている人には届いてるし、結果として心に残るものよね。

 

 終わりに

 

 

この作品をみて、お二人の生活みたいな老後を暮らしたいなーと将来の小さな夢を持つことができました。でもそれって特別何かあるわけじゃない毎日の暮らしを丁寧に生きていくだけでそうなっているものかな?だったら毎日ちょっとだけ丁寧に生きていこうかな。